この惑星の住人は隣の家の価値が自分の生活に影響を及ぼす方程式を持って生きている。
例えば、
という人は隣の家よりも2倍の生活価値が欲しいと
思っている人であり、
という人は隣の家よりも3倍の生活価値を求めている人である。
などという人は隣の家の3倍の生活価値に+5の付加価値が欲しいと欲張っている。
こういう人の生活環境はいずれ膨大にふくれあがって発散して破産するしかない。
一方で、最近の若い住人は最初から夢などを持たずに「慎ましく」考えている者も多く、
という若者は隣の若者の生活の半分だけでも得られればいいと考えている輩であり、
などは、半分の生活に1つくらい足りなくてもいいと思っている。
しかし、こうした価値観では最終的に「先細り」してしまい、究極的には人生は収束して終息してしまうだけだ。
小さくまとまった人生を考えている若者がいる反面で、
終息を迎えながらも強欲な価値観に縛られている老齢者も「もうケッコウ」なくらいいる。
こういう人は「向こう三軒・両隣り」ではないが、
隣の隣の住人の生活環境にまで影響されている。
ここまで来ると、集合住宅の1階や2階の住人の生活も自分の生活に
取り組みたいと考えている奴であり、
こんな奴を説得して「解きほぐす」のは、かなりやっかいな難問である。
こういう人に限って隣人とは「そりが合わず」、生き方も価値観も異なるのだが、
そんな奴らに限ってこんなことをする。
我々の惑星では考えにくいが、手を取り合って「連立して生きている」つもりらしい。
「内閣」でも作ろうというのか?
ときにはこんな「風変わりな」表現で主張する連中もいるようだ。
こうなると、十把一からげ(じっぱひとからげ)というべきか、
烏合の衆(うごうのしゅう)というべきか、
みんなで動けば怖くない方程式を持っているみたいで薄気味悪い。
分析すると、
これでは「オール電化」ならぬ「オール漸化」ではなかろうか?
それにしても、