朝寝が大好きな17歳の尻田蒼(シリダアオイ)君。
母親にケツをはれるほど叩かれて追い出されないと学校に通えない毎日である。
今日も叩かれた。自転車をこいで学校に向かう。
彼は隣を過ぎ去っていく車をみながらふと考えた。
「あんなスピードで進められたら遅刻もしないよな。」
また、ふと隣を見る。混雑で、はち切れそうな小田急線が彼を追い越す。
「あんなスピードでも、毎日の混雑はイヤだなぁ。」
そこで急に尻田君の頭にあることがよぎった。
「なんだ!この世はすべて動いているじゃん!」
車も電車も隣を牛の歩みで進むバアサンも、変わりゆく信号も、
開き出すシャッターも・・・すべてが動いている。
「そうだ!世の中のものはすべて動いているんだ。
この俺の心臓も血液も少ない脳みそもみんな止まってなんてないんだ。」
彼はデカルトが真理にたどりついたように誇らしげに自転車をゆっくりこいだ。
だが、叩かれたケツが痛いので「立ちこぎ」で・・・。
「そうなると、昨日『お宅』がいっていた数というのも動いていると考えるほうが自然じゃないのか。」
『お宅』とは尻田君の数学の教師である「数緒 拓」(カズオ タク)先生のことである。
数学を話すときの彼のオデコはテラテラと輝く。
生徒が理解に苦しむ顔をみながらのときは、テラテラが数倍になる。
「数学のときだけ輝く」人物を生徒達は『お宅』と呼んでいる。
「昨日『お宅』がいっていたあの式・・・」
“ハイ!この式のは・・・そう・・・ではないから・・・分母と分子で約分していいんですよネ。
じゃぁ、みんなで割ってみて・・・ハ~イできましたね。尻田く~ん答えて・・・
なんで?なんで、できないの?簡単じゃな~い。こうよ、こう・・・
それでは、このあとどうなるのかしら、(テラテラ)は・・・そぅ・・・に近づくから
を代入して、ハ~イできました!になっちゃいます。”
「がじゃないから割っていい!っていったのに、
何で今度はになるからになっちまうって話が目茶苦茶だろ!」
昨日の授業も生徒はチンプンカンプン、先生はニヤニヤのテラテラ。
でも尻田君は立ちこぎしながら考えはじめました。
「数がひとつに止まっていないと考えればいいわけだ。
すると最初の式ではは動いているのだから、
ではない。
そうすると分母はではないから約分できて割ることができる。
でも動いているの目標としている値はだ!
つまりとは限りなくに向かってが動いているという意味だ。
がに向かっていくとはどこに向かっていくのか
というのががついたときの答えなんだ。
だから『お宅』はって書いたけど
とは書かなかったんだ。
は式全体が向かって行く目標の値なんだ。
がを目標にして動いていけばは
を目指して動いていくに決まってんじゃんか!
あいつ俺がわからないものだからテラテラしやがってえらそうに・・・。」
尻田君は蹴られたケツを押さえながらも、一歩、「極限」の本質に近づけたようである。
しかし、数学の本質には近づけても学校にはいっこうに近づけていない。
時計の針も動いて午前9:00を過ぎていく。
今日も遅刻だ!
数学の赤点への道も刻々と近づく尻田君。