ママは日ごろからわしの言うことをち~とも信じてくれないのだ。だから何事もひとつひとつ調べてしまうのだ。
こういうママの生き方を「帰納法」というのだ。
だから、わしもママのまねをして一つ一つ調べてみるのだ。何を調べるか?って、そんなのは簡単なのだ。
三角形を書きなさい。角度をを測ってみるのだ。そして全部の角度を足す。180度になったのだ。
別の三角形を書いてみるのだ。また角度を測って足してみると…驚いたのだ!また180度ではないか。
う~む、ではもう一つ書いて測ってみるのだ。今度は違ってみせるのだ。
やややっ!またもや180度なのだ。
こいつら三角形はみんなでグルになってわしを混乱させようとしているのだ。
これは三角形の陰謀なのだ。「パパ、違うよ!」
お~、その声はわしの息子のハジメではないか。
「パパ、三角形はどれを書いても角度の和は180度になるんだよ。」
〈わ〉になるんだったら、〇になるではないのか。「そっちの輪じゃないよ。足す方の和だよ。」
なんだ、わしは三角が丸くなってしまうのかと思ってトンボガエリしそうになったのだ。
でもハジメはどうしてそんなことがわかるのだ?
「演繹法だよ。パパ。」
う~む、また難しい言葉を出してわしを困らせようとしているのだ。
「演繹法っていうのはネ、推論によってナットクする方法なんだよ。」
納豆を食うよりもナットクできるのか?不思議なものなのだ。
「パパだってふつうにやってるよ。1足す1はわかるでしょ?」
バカにしてはいけないのだ。ママが昨日買ってきたミカンがひとつ、今日もひとつくれたから全部で2個なのだ。
「じゃあ、1足す2は?」そんなの簡単なのだ。今日くれるミカンを2個にしてもらえば3個になるのだ。
「それじゃあ、1足す10は?」それも簡単なのだ。ミカンの数をママが増やしてくれれば答えは全部出るのだ。
「ほらね、全部計算しなくてもパパは足し算の答えを推論でナットクしているじゃない…。」
う~む、またもやハジメにナットクさせられてしまったのだ。
「数学っていうのはこうやって、一般的な命題からいろいろな特別の命題を推論していく勉強なんだよ。パパ!」
けれども、すべてやりもしないで推論でナットクしてしまうとは、ずいぶん怠け者の勉強なのだ。
数学は一つ一つ調べてはいけないのか?ハジメ!
「一つ一つ調べてルールを見つけるやり方は演繹法の反対の方法だから、『数学的帰納法』といって区別しているんだよ。」
またまたわしの困る言葉が出てきたぞ。
「じゃあ、パパ、ここにドミノを並べてみてよ。」
「ピザを並べるのか?」
「違うよ、いつもお兄ちゃんと遊んでいる四角いやつだよ。」
なんだ、そんなの簡単なのだ。…これでいいのか?
「じゃあ、パパ、最初の一つを倒すとどうなる?」
どうもこうもないのだ!2枚目が倒れるのだ。
「じゃあ2枚目が倒れたら?」3枚目が倒れるのだ!
「3枚目が倒れたら?」そんなこと決まっているのだ。4枚目が倒れるのだ。
「パパ、それを繰り返したら?」
ぜ~んぶ倒れるのだ。
「だから、最初の1枚、2枚で起きることから、こうなるかな~と思って、それがどこを倒しても同じように倒れたら全部のドミノで同じことがいえることになるじゃない。」
な~んだ、そういう方法を早くママに教えてあげれば、わしの言うことを一つ一つ調べなくてもママは信じてくれるのだ。
ハジメ!その「数学的帰納法」というやつをママに教えてあげなさい。